イーグルスの歴史
イーグルス(The Eagles)は、ロサンゼルスを拠点とするアサイラム(Asylum)レーベルのヴォーカリストであったリンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt )のバンド Linda Ronstadt & Her Band のメンバーとして集められたグレン・フライ(Glenn Frey )、ドン・ヘンリー(Don Henley )、ランディー・マイズナー(Randy Meisner )、バーニー・リードン(Bernie Leadon )の4人によって1971年8月に結成された。
当時同じアパートに居住していたジャクソン・ブラウン(Jackson Browne )とグレン・フライによる共作で、デビューアルバム『Eagles (イーグルス〜「イーグルス・ファースト」)』のタイトル曲となった軽快なナンバー「Take It Easy (テイク・イット・イージー)」がいきなりヒットし、イーグルスは瞬く間に1970年代に一世を風靡したウエストコースト・サウンドの代表の仲間入りを果たした。
ラブ・ウィル・キープ・アス・アライブ Eagles - Love Will Keep Us Alive
ベスト盤(ライブ収録とスタジオ新曲4曲を含む)HELL FREEZES OVER/ヘル・フリーゼズ・オーヴァー(94年発表)に収録された新曲です。
ティモシー・シュミット(Timothy Schmit )のやさしいハイトーンボイスとメンバーのハーモニーがマッチした曲で、過去の名曲群に負けないくらい良い曲です。
1994年は僕が13歳でちょうど洋楽ロックにはまり始めた時です。
その時に洋楽で初めて買ったロックのアルバムがこの「HELL FREEZES OVER/ヘル・フリーゼズ・オーヴァー」です。
(その前に映画「三銃士」のサントラを購入していましたが、、、。このサントラはスティングとブライアン・アダムスとロッド・スチュワートが主題歌を歌っていました。)
一緒にボンジョビ BON・JOVIの「CROSS ROAD/クロスロード」も一緒に買いました。
確かこの頃はベスト盤がたくさん発売されて、ヒットチャートにイーグルスとボンジョビの他にエアロスミスの「ビッグワンズ BIG ONES」もありました。
その頃は、住んでいた北海道には中古CD屋もあまりなくて、金曜深夜にやっていた「まる音DELUX」という番組を常にチェックして洋楽の勉強をしてました。
(余談ですがこの番組の司会アシスタントをしていた丸谷香織さんが途中で参議院議員になって番組を辞めたのに驚いた記憶があります。)
なんか深夜にトムジョーンズの「恋はメキメキ」とかのビデオが頻繁に流れてた気がするなあ、、、(笑)。
次の日に学校行ったら友達が
「あのジャガイモみたいな顔した奴が歌ってる曲、すげーウケル」
とか言いながら、最初の「YEHHHHHHHHHHHH!」の部分を真似してました。
今思い出しても笑えます(笑)。
イーグルスのブログですがついでに貼っておきます(汗)
イーグルス The Eagles
テイクイットイージー Eagles - take it easy
イーグルスはしっとりとした曲だけでなく、このデビュー曲「テイクイットイージー」のような軽快なカントリーロックナンバーもいいですね。
この「テイクイットイージー」は1972年のデビューアルバムの1曲目で、作詞、作曲はグレン・フライとジャクソン・ブラウンです。
曲は、爽やかな印象を放つギターの重奏でスタートし、エレクトリック・ギターの特徴あるフレーズに導かれてグレン・フライが軽やかに歌います。
バンジョーの速弾きによるアルペジオ風の伴奏からはカントリー・ロックの雰囲気が漂いますが、その一方で、独特の躍動感を生み出すベース・プレイからはより新鮮なイーグルス流のロックンロールの響きを感じ取ることができます。
イーグルス The Eagles
この「テイクイットイージー」は1972年のデビューアルバムの1曲目で、作詞、作曲はグレン・フライとジャクソン・ブラウンです。
曲は、爽やかな印象を放つギターの重奏でスタートし、エレクトリック・ギターの特徴あるフレーズに導かれてグレン・フライが軽やかに歌います。
バンジョーの速弾きによるアルペジオ風の伴奏からはカントリー・ロックの雰囲気が漂いますが、その一方で、独特の躍動感を生み出すベース・プレイからはより新鮮なイーグルス流のロックンロールの響きを感じ取ることができます。
イーグルス The Eagles
ホテル・カリフォルニア Eagles - Hotel California
ロックファンのみならず、幅広い音楽ファンに指示されたイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」は、当時、歌詞の内容から様々な憶測がされましたが、商業化したロック・スピリットを憂えたものとされています。
特に、『1969年以来「スピリット」はない』との歌詞における「酒」のスピリットと「精神」のスピリットをかけている一節は、とても有名です。
イーグルス The Eagles
特に、『1969年以来「スピリット」はない』との歌詞における「酒」のスピリットと「精神」のスピリットをかけている一節は、とても有名です。
イーグルス The Eagles
イーグルス デスペラード Eagles - Desperado
イーグルスの名曲と言えば、ホテルカリフォルニアを思い浮かべる人が多いと思いますが、デスペラード(ならず者)も素晴らしい曲です。
叙情的でかつ胸を締め付けるようなメロディーなので、個人的にはイーグルスの中でも1、2を争うくらい好きな曲です。
いろいろな人がカバーしていて、リンダロンシュタットのカバーなんかもヒットしました。
カバーは
アン・ルイス
石川セリ
SAKURA
佐藤竹善
竹仲絵里
平井堅
藤田恵美
アン・バートン
グレン・フライ(ソロ)
ドン・ヘンリー(ソロ)
リンダ・ロンシュタット
リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンド(ジョー・ウォルシュ)
なんかがしてますね。
こうしてみると歌が上手で情感のある歌い手ばかりですが、藤田恵美さん(ルクプル)のバージョンが個人的に一押しです。
日本ではあまり知られていませんが、台湾などのアジアで藤田恵美さんのカバーアルバム「カモミール」は大ヒットしていました。
探して聴いてみる価値はあると思います。
デスペラード (Desperado) とは、英語で「ならず者」・「無法者」・「命知らず」などを意味する、スペイン語を語源とする語です。
イーグルス The Eagles
叙情的でかつ胸を締め付けるようなメロディーなので、個人的にはイーグルスの中でも1、2を争うくらい好きな曲です。
いろいろな人がカバーしていて、リンダロンシュタットのカバーなんかもヒットしました。
カバーは
アン・ルイス
石川セリ
SAKURA
佐藤竹善
竹仲絵里
平井堅
藤田恵美
アン・バートン
グレン・フライ(ソロ)
ドン・ヘンリー(ソロ)
リンダ・ロンシュタット
リンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンド(ジョー・ウォルシュ)
なんかがしてますね。
こうしてみると歌が上手で情感のある歌い手ばかりですが、藤田恵美さん(ルクプル)のバージョンが個人的に一押しです。
日本ではあまり知られていませんが、台湾などのアジアで藤田恵美さんのカバーアルバム「カモミール」は大ヒットしていました。
探して聴いてみる価値はあると思います。
デスペラード (Desperado) とは、英語で「ならず者」・「無法者」・「命知らず」などを意味する、スペイン語を語源とする語です。
イーグルス The Eagles
イーグルスのこれまで
イーグルスにおいて1976年に発売されたベストアルバム『Their Greatest Hits 1971-1975 (グレイテスト・ヒッツ 1971-1975」)』は、全米だけで2,900万枚以上の売り上げを記録して全米歴代で最も売れたアルバムとして君臨し、プラチナ・ディスク認定第1号ともなった記念碑的作品となるなど、バンドの確固たる地位を築いた。
特にその翌年発表され、イーグルスのアルバムのうち代表作となった『Hotel California (ホテル・カリフォルニア)』(1976年)においては、当時のロック産業を含めた都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞とイーグルスのメンバーによる13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、1970年代のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったタイトル曲「Hotel California (ホテル・カリフォルニア)」、かつての勢いを失いつつあったウェストコースト・ロック界の皮肉ったかのように、田舎町にやって来た新参者へ向けられる地元大衆の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「New Kid In Town (ニュー・キッド・イン・タウン)」、はびこるエゴ社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手にふるまう無頼者が実は虚勢に満ちており内面に苦悩を持つことをにじませた「Life In The Fast Lane (ライフ・イン・ザ・ファースト・レーン〜「駆足の人生」)」など、一見人間の性(さが)や振る舞いを唱いながらも暗に根深い社会問題を提起するような深みのある歌詞を、角度を替えた音響アレンジに乗せて展開した曲にちりばめてバンドとしての頂点を醸成し、全世界的な大セールスを記録してイーグルスをを押しも押されぬアメリカン・ロックの代表格にまで押し上げた。
イーグルスは1981年に活動を停止するまでのおよそ10年間で、6枚のオリジナル・アルバムと1枚のライブ・アルバムを制作しており、ここまでをバンド活動の第1期として総括できる。
バンドの活動停止後はイーグルスの各メンバーが個別の活動に入り、各自のソロ・アルバムを発表したり、繋がりの深いウエストコースト系のアーティストを中心にレコーディングへのゲスト参加などを行っている。
その後1994年にイーグルス第1期最終メンバーによってバンドが再結成され、4曲の新曲とライブを併せた変則的なアルバムを1枚制作し、以後世界規模でのツアーを繰り返し展開しており、イーグルスはこの1994年以降をバンド活動の第2期と定義付けることができる。
2004年から2005年にかけては、「Farewell I Tour」(第一回さよならツアー)と題されたツアーが行われたが、「さよなら」というのはイーグルス流のジョークであり、その後も米国内外で公演が行われている。
イーグルスはこのツアーでも相変わらずの高い人気ぶりを見せつけ、各地のコンサートは大成功に終わり、収益面でも年間ランキングに顔を出すほどであった。
これまでイーグルスの来日公演は4回行われている。
1976年に日本武道館を含む初来日、1979年に日本武道館を含む2度目の来日、1995年に16年振り3度目の来日公演を東京、横浜、大阪、福岡で行ない成功をおさめ、2004年には東京、名古屋、大阪、福岡、札幌の5大ドームと、横浜アリーナにおいて9年振り4度目のイーグルスの公演が行われた。
また、2006年中盤においてイーグルスとしての新作を発表することを示唆するような発言もしており、ライブ音源を含まない形であれば、12年ぶりの新作が期待されている。
イーグルス The Eagles
特にその翌年発表され、イーグルスのアルバムのうち代表作となった『Hotel California (ホテル・カリフォルニア)』(1976年)においては、当時のロック産業を含めた都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞とイーグルスのメンバーによる13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、1970年代のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったタイトル曲「Hotel California (ホテル・カリフォルニア)」、かつての勢いを失いつつあったウェストコースト・ロック界の皮肉ったかのように、田舎町にやって来た新参者へ向けられる地元大衆の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく様を唱った「New Kid In Town (ニュー・キッド・イン・タウン)」、はびこるエゴ社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手にふるまう無頼者が実は虚勢に満ちており内面に苦悩を持つことをにじませた「Life In The Fast Lane (ライフ・イン・ザ・ファースト・レーン〜「駆足の人生」)」など、一見人間の性(さが)や振る舞いを唱いながらも暗に根深い社会問題を提起するような深みのある歌詞を、角度を替えた音響アレンジに乗せて展開した曲にちりばめてバンドとしての頂点を醸成し、全世界的な大セールスを記録してイーグルスをを押しも押されぬアメリカン・ロックの代表格にまで押し上げた。
イーグルスは1981年に活動を停止するまでのおよそ10年間で、6枚のオリジナル・アルバムと1枚のライブ・アルバムを制作しており、ここまでをバンド活動の第1期として総括できる。
バンドの活動停止後はイーグルスの各メンバーが個別の活動に入り、各自のソロ・アルバムを発表したり、繋がりの深いウエストコースト系のアーティストを中心にレコーディングへのゲスト参加などを行っている。
その後1994年にイーグルス第1期最終メンバーによってバンドが再結成され、4曲の新曲とライブを併せた変則的なアルバムを1枚制作し、以後世界規模でのツアーを繰り返し展開しており、イーグルスはこの1994年以降をバンド活動の第2期と定義付けることができる。
2004年から2005年にかけては、「Farewell I Tour」(第一回さよならツアー)と題されたツアーが行われたが、「さよなら」というのはイーグルス流のジョークであり、その後も米国内外で公演が行われている。
イーグルスはこのツアーでも相変わらずの高い人気ぶりを見せつけ、各地のコンサートは大成功に終わり、収益面でも年間ランキングに顔を出すほどであった。
これまでイーグルスの来日公演は4回行われている。
1976年に日本武道館を含む初来日、1979年に日本武道館を含む2度目の来日、1995年に16年振り3度目の来日公演を東京、横浜、大阪、福岡で行ない成功をおさめ、2004年には東京、名古屋、大阪、福岡、札幌の5大ドームと、横浜アリーナにおいて9年振り4度目のイーグルスの公演が行われた。
また、2006年中盤においてイーグルスとしての新作を発表することを示唆するような発言もしており、ライブ音源を含まない形であれば、12年ぶりの新作が期待されている。
イーグルス The Eagles